四天王寺ものがたり
第一回『四天王寺にお寺が多い理由』

四天王寺にお寺が多い理由-イメージ

「四天王寺」とは、大阪市天王寺区にある日本最古の官寺と、それを由来にした町名です。
仏教寺院としての四天王寺は日本書紀にいわく593年、聖徳太子によって創建されました。

関西で「お寺」と聞けば、古都の京都や奈良を思い浮かべる方は少なくありません。
しかし実は、数では大阪が最多で2300カ寺以上(2009年時点)。京都よりも200以上多いのだとか。

そんな寺町の大阪において200を超える数の寺院がここ、四天王寺で歴史を重ねてきました。どうして四天王寺だったのでしょう?その理由を少しご紹介いたします。

戦国時代まっただなかの天正11年(1583年)、豊臣秀吉による「大坂」の城下町建設と並走して、大阪では寺町(城下町の一部で寺院の集まった区域)づくりが盛んになりました。
そもそも、秀吉が上町台地に寺院を固めた理由は、かの有名な石山合戦の教訓が活かされたからと言われています。石山本願寺と織田信長との間で勃発した10年にも及ぶ戦では、城の南側の守りが弱かったのです。

大坂城は南北に細長い台地の北端に位置あり、東の平野川と北の大川が自然の堀になっているため、秀吉は台地の西に東横堀川を開削して防御を強化します。そうなると敵は間違いなく南側から攻めてくることになるため、大坂に点在していた寺院を城の南側、四天王寺を含む上町台地沿いに移動し、いわば宗教施設を城の壁にしたのです。

元来、四天王寺はすぐ傍が海でした。その地形から夕陽を美しく望める立地とあって、浄土信仰が広がった平安末期以降は西方浄土を観想する「日想観」が広まるなど、仏教寺院の聖地でもありました。そのため、各寺の移動交渉や説得がスムーズに進んだことも理由のひとつかもしれません。

「夕陽丘」の名の通り、美しい夕陽に照らされる四天王寺の町並みは、商人の町として機能する現代の大阪とは異なり、どことなくゆったりとしています。

大阪メトロ谷町線、四天王寺前夕陽ヶ丘駅を出ると、参道には仏教寺院にまつわるさまざまな店屋が軒を連ねています。仏具店や数珠を売る店は静かに営業を続け、どこからとなくお線香が香り、托鉢僧の読経が聞こえて…。

この町は人々の信心や弔いの想いと共に、今日も歴史を刻み続けています。

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