四天王寺ものがたり
第三回『四天王寺はなぜお寺なのに鳥居があるのか』

四天王寺はなぜお寺なのに鳥居があるのか-イメージ

四天王寺はお寺なのに、なぜ鳥居があるの?…という声をたまに耳にします。
確かに、現代の感覚ですと少し不思議に感じますよね。実は、これは日本独自の「神仏習合」の名残だそうです。
明治時代から現代も続く「神仏分離」。今では「神様」と「仏様」はまったく別のものとしてまつられています。
例えば「お参り(寺院)」と「お詣り(神社)」など、参拝ひとつをとっても、そこにあてがう漢字を隔てるほどしっかりと分けられています。

ですが、もともとこの国では「神仏習合」が当り前で、寺社仏閣が同じ境内に建てられることは、まったく不自然ではありませんでした。
平安時代に仏教が伝承し「日本の神様は、仏様が化身したもの」という、いわゆる「本地垂迹」と言う思想が広まっていきます。神社に付帯する建造物として建てられる寺院を「神宮寺」と呼び、また逆に、寺院に付帯する神社を「鎮守社」と呼んだのです。

四天王寺の石鳥居は、1294年(永仁2年)に四天王寺の忍性という僧侶が、木造鳥居であったものを石造に作り替えたものだと伝えられています。
石鳥居に掛けられている扁額には「釈迦如来転法輪処当極楽土東門中心」と記されており、これは、「ここは釈迦如来が説法する場所であり、極楽浄土の東門ですよ」という意味です。
扁額が箕形なのは、あまねく衆生の願いを決して漏らさないという阿彌陀如来の大悲を表しているそうです。

また、鳥居発祥の地であるインドでは、古来より鳥居は聖地結界の門として扱われてきました。そもそもが神社だけのものではないため、日本最古の官寺である四天王寺に鳥居があるのは何らおかしなことではないのです。

お彼岸には太陽は真西に沈みます。創建当時の四天王寺からは、真西を向いた大きな石鳥居をくぐるように太陽が海に沈む様がのぞむことができたはず。それはまさしく、西方浄土をイメージさせる神々しい風景であったことでしょう。

歴史を知った後に見える風景はそれまでのものとは少し趣が変わって、いっそう滋味深く感じられます。
鳥居のおかげでまた一つ、人々の信仰心や弔いの気持ちの篤さを知ることができました。

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